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「平成最後の日」に思う。 [時事雑感系]

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「平成最後の春」の菜の花畑。今年もきれいに咲いてくれました。

 前回のブログ更新から3ヶ月も経ってしまった。思えば先月あたり、そろそろ更新しなくちゃ・・・と思っていた矢先に、89歳になる母が体調を崩し入院、その後退院~介護認定の申請~介護サービスの開始・・・と、折しも年度末始の多忙時期、加えて応援する議員がいる地方選挙と重なったため、ばたばたのうちにあっという間に1ヶ月が過ぎてしまった。今も大半、母の住む実家に泊まり込む日々だが、ここへきてようやくペースができてきたというか、暮らしに馴染んできたというか、少しは落ち着いてものを考えられるようになってきた。ちょうど「平成最後の日」ということで、更新のアリバイ作りをしておこうと思う。

 このところ新聞もTVも、改元と天皇の代替わりの報道でもちきりだ。またさまざまなビジネスも「平成最後の・・・」をうたい文句にしてえらく盛り上がっている。まあ30年ぶりの大イベントなので、それはそれで結構なことだ。しかしこの盛り上がりの陰で、平成の時代からのいろいろな課題が薄まってしまいはしないかと心配だ。平成後半に起こった大自然災害の被災地の復興、原発の問題、沖縄辺野古の問題、また本来なら政権を揺るがす事態になって不思議ではない「モリカケ」の問題、どうみても失敗と思える「アベノミクス」・・・。元号が変わったからといって決してリセットしてしまうことはできない。・・・いや、させてはならない。

 また憲法の問題もそうだ。安倍政権はこの改元のタイミングを待っていたかのように、憲法審査会をスタートさせた。「新しい時代に新しい憲法を」とでもいうつもりなのかどうかしらないが、こればかりは「お祭り気分」で「ついでに」新しくするようなものではない。一体何のための改憲なのか、そもそも改憲をしないと出来ないことがあるのか、そういう最低限の説明さえきちんとなされているとは思えない。動き出した憲法審査会では、ぜひこれからの100年を見据えた、地に足の付いた憲法議論を行っていただきたい。また同時に小生たちも、これまで以上にこの問題を注視していくことが必要だ。

 ここ数日の新聞で目立っているのが「象徴としての天皇」についての記事だ。現行の憲法のもとではじめて「象徴天皇」として即位し、その意味を問い続け、実践してこられた平成の天皇だが、天皇の務めについて「国民の安寧と幸せを祈ることと共に」「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と述べている。これが「象徴」としてのあるべき姿と考えられて、過ごしてこられたのだろう。沖縄や被災地、離島への度重なる訪問もこの姿勢の表れであったに違いない。

 こうしたお考えが現れた印象的なエピソードがある。2004年10月28日、園遊会の席上で東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話したのに対し、天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられたという。考えてみれば当たり前の話ではあるのだが、当時東京都教育委員会は、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員の処分を行っていた。米長氏はこうした方針を推進する発言を繰り返してきた人物であり、小生は、このようなあり方が「国民の思いに寄りそうもの」とはいえないという天皇の思いがにじんだ発言と感じた。

 昨年の12月20日、天皇誕生日に際しての「おことば」で天皇は「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵どしています」と述べられた。このときにやや声を詰まらせるように原稿を読まれた姿に、小生は、この方が何より強く求めていたのが「このこと」だったのだな・・・と感じた。今回の改元、もともと元号にそんなに思い入れのない小生にとってはさほどの関心事ではなかったが、改めて天皇が歩いて来られた道やお考えの一端を知り、また天皇制について考えるいい機会になったことは確かだ。

 振り返れば、平成の時代はバブル崩壊とその後の長きにわたる景気低迷、そしていくつもの大災害の時代だったように思う。元号が変わったからどうということもないが、みんなが気分を一新して元気を出していけるきっかけになればすばらしい。来る「令和」がいい時代になってくれることを願いたい。

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