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新型コロナウィルスと教育 [時事雑感系]

 最新の世論調査(JNN)で、安倍内閣の支持率が48.9%となり、2018年以降で最低を記録したという。正直言って「まだそんなにあるのか!」というのが小生の感想だが、すでに他の調査(先月)では不支持が支持を上回ったものもある。支持率の低下自体はもはや「一定の傾向」となってきたのではないかと思う。

 それはそれとして、今回の調査結果で驚いたのは、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍総理が要請した「小・中・高校の一斉休校」についての評価だ。。「非常に評価する」が15%、「ある程度評価する」が53%、あわせて7割近くの人が「評価する」と答えているのだ。この突然の一斉休校については、マスコミの報道でも多くの疑問や、批判の声があがっている。小生の周辺でも大半の人の反応は「なぜ?」「ありえない!」という感じだったので、この結果には正直驚いた。

 そもそも、今回の休校要請は、事前の慎重な協議や準備がなされていないばかりでなく、明確な科学的根拠にさえ基づいていないようだ。それは当の安倍総理が「専門家会議で検討していない」ことを認めていることからも明らかだ。発表直前に萩生田文科大臣もかなり「食い下がった」という話もある。それでも強行したのは、この問題が発生してからの政府の対応が「後手後手」に回っているとの批判をかわす狙いがあったからではないのか。いわば「やってる」感の演出だ。もしそのための道具に教育を使ったとしたらとんでもない話だ。

 学校を閉めることで生じる様々な影響については、日々メディアで取り上げられていて、それはどれも社会生活に多大な影響を及ぼすもので深刻だ。しかし小生が最も重大だと感じるのは「子どもの学習権が守られない」ということだ。ただ単にほぼ1ヶ月学校に行けない、授業を受けられないというだけではない。3月というこの時期、学校は1年の総仕上げの時期であり、卒業式など子どもたちの心に強く刻まれる行事もある。また長年学校生活をともにしてきた仲間との別れの季節でもある。こうしたことが、おそらくたいした議論もなしに決定し実行されてしまう、そのことになんとも納得のいかない思いがある。こんなふうに感じる小生はセンチメンタルすぎるのだろうか?

 もちろん、子どもたちにへの感染が顕著だったり、学校での蔓延が懸念されるような感染症の場合には、休校もためらうべきではない。しかし今回のケースはどうだろう。場合によっては、通常のように学校生活を送っていた方がよほど安全という見方も多い。現にスウェーデンのストックホルム市では、3月2日に「対パンデミック準備計画」を発表し、通常の教育活動をできるだけ長く維持することを目指す方針を示したという。感染の状況はもちろん違うだろうが、問題はそういうことではないと思う。科学的な根拠もなく、「政治的な決断」だけで教育に極めて大きな影響をもたらすような決定がなされてしまうことが問題なのだ。この国での「教育」の位置づけがいかに低いかを示しているといえるのではないか。

 イタリア:ミラノ市の校長先生の生徒にあてた手紙が、世界中で大きな話題になっている。(下記)
https://note.com/risa_hinata/n/nc31e988cf336

この手紙から伝わってくるのは、生徒へのあたたかな思いやりの心と、よき社会人への育ちをを支えていくという教育の大きな役割を大切にする姿勢だ。イタリアも今、大変な状況にあるようだが、こういう姿勢で臨んでいくことができるなら、この困難も乗り越えていけるのではないか、そんな風に思えた。

 新型コロナウィルスの問題は、今後の展開が全く見通せない中で世界中で様々な混乱が起こっている。しかし大切なのは飛び交う情報に踊らされることなく、常に冷静に、合理的に、科学的に考え、行動することなのだと思う。まずは自分の身の回り、住んでいる場所、家族、近くにいる人々の様子をよくみて、今何が必要かを判断し、行動していくことが大切だ。未知のもの、未経験のものに対しては誰しも不安を感じる。しかし不安であればあるほど大切なのは「冷静な思考」なのだと思う。もし社会でそれが失われることがあるとしたら、それはウィルスそのもの以上の最大の脅威ではないだろうか。
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